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ENJO
木**子
映画「炎上」の魅力
原作のどこを切り取りどこを強調したいのか監督の意図が伝わってきました。この映画で往年の名優に出会えるのも魅力のひとつです。
K**U
台本はいらないよ。これをカットしてもっと安くしろよ。
内容はもちろんいい。けど不必要なもののせいで、恐らく値段が上がっている。無意味。捨てるわけにもいかないし、場所取るし。どうしようもない。
A**ー
映画は原作を越えられるか?
原作を読んでいないと、分かりにくいところがあると思います。特に主人公の複雑な内面の葛藤などは、意識的に想像力を働かせないとよく理解出来ないのではないでしょうか。
I**M
純粋だからこそ生きられない
『炎上』は市川雷蔵をスクリーンで観た最初の映画である。今回BD4Kによる高画質が出ている事が解り改めて観直してみたいと思った。それは溝口が驟閣を燃やした理由である。彼が驟閣をどう捉えていたか、それを映像化すれば心の闇も解明できるのではないか。だがこの作品は極めて観念的である為、動機に謎を残した方が相応しい映画である事も事実である。【葛藤】驟閣に措いて溝口が他の人と決定的に違う点。それは驟閣を維持管理できる人間だという事。つまり驟閣を内側から見る事ができる。これで驟閣の本質を掴んでいるとしたら、その審美眼は溝口独自のもので彼だけの世界観である。そんな驟閣の存在意義を真に理解できるのは自分だけだという自尊心が沸き起り、それが彼の生きる拠り所になっていた事は十分考えられる。それは同時に自分を認めて欲しいという切なる願いであり、長年に渡り吃音で蔑まれてきた若者が唯一対抗できる手段である。つまり彼はこの驟閣の捉え方で己の存在価値を見出して自分を誇示したい思惑があったはずなのだ。しかしそれは驟閣を利用して名声を得ようとする卑しさではないかと指摘されるのを恐れ苦悶していた。そんな推察ができる。【疎外感】驟閣への想いを共有して自分を理解して欲しいという願いは吃音によって遮断され、その真意が伝わらないまま誤解の連鎖が悪循環となって周囲との軋轢を生む。自分と同じ障害者の戸狩(仲代達矢)はその立場を利用して健常者の愚かな本質を暴いたかに見えた。だが結局は嘲りと憐れみの対象でしかない事を思い知らされる。周りの人間も皆世俗に溺れ誰も自分を理解しようとはしない。それは老師とて同じで溝口を失望させ幻滅させる。それらが疎外感となり人間不信を招いて自暴自棄へと陥ったとしても何ら不思議ではない。【孤独】驟閣と接する事で純粋さと清廉さを維持しようとする溝口にとって周りの人間は皆俗物で醜悪な世界に見えてくる。彼の拠り所は驟閣以外無くなってゆく。そんな孤立感が増す中で神聖な驟閣が俗人達によって営利目的され汚されてゆく。これは堪えられない。そんな絶望的心境に陥っていた時、唯一の理解者であった父の記憶と驟閣が重なった。溝口は父の庇護の下に旅立つ決意を固め、そこに商業利用する者に対する防衛的使命を持って驟閣を燃やし心中を図ろうとした。個人的にはそう解釈したい。【雑感】昔観た時は主人公が只管哀れで惨めに見えた。列車からの投身自殺の後、現場検証で警察の車が到着する場面に重く垂れ込めた曇天。これがこの映画を象徴するかのように圧し掛り、この救いようの無い暗澹たるラストに沈痛な気分に陥った。正直20代の若造が観るには早すぎたと思った。だがこの歳になって改めて観て見ると、やはりこれは市川崑監督だからこそ作り得た作品だと実感できる。市川雷蔵の存在は大きい。彼を現代劇の主役に抜擢した慧眼により市川雷蔵は溝口にしか見えない。そこに歌舞伎界と決別し映画という新たな分野で生きる覚悟と決意が伝わってくるかのような印象を持った。その演技も誇張を排して只管地味であり、それでいて繊細。この自然な存在感が等身大の溝口を体現させた。雷蔵は溝口に成りきった。彼でなければこの映画は成立しない。【仕様】BD4K高画質の映像表現による説得力に納得。DVDとは雲泥の差。DVDからは到底得られないその内容の重みが昔観た記憶を鮮やかに甦らせた。媒体如何で作品の印象が変わるという事は起こり得る。このシャープで鮮明な映像により監督が意図していた人間ドラマが凝縮されたような形となって見えてくるようになった。他にお勧めなのがブックレット。小冊子だが撮影当時のスタッフとキャストの意気込みが伝わってくるような内容で面白い。シナリオも付いているが相当に練って推敲したものと思われる。
ひ**り
北野武監督のアウトレイジが全員悪人だとしたら、この映画は全員〇〇。(コンプライアンス上の配慮から伏字に)
この映画、今年の夏にニュープリントで劇場でみた。燃え上がる金閣寺(映画内では名を変えてあるが)の炎の美しいこと。あえて、この映画の中で〇〇ではないのは、この燃え上がる金閣寺だけなのかもしれない。以前にビデオでは見たことがあったが、そこまで炎が綺麗だとは思わなかったが、さすがは劇場で見る価値があると思った。内容が内容なだけに、いま、このレビューでも伏字の配慮が必要なくらいの言葉狩りの昨今では、そのままの状態では地上波放映もできないだろうし、リメイクもできないだろう。だが、三島由紀夫原作の代表作の映画化作品である。主人公の雷蔵よりも、私は二代目 中村鴈治郎が大好き。あの飄々とした小悪党をさせれば最高。他にも脇をうますぎる個性役者が固めており、どいつもこいつも、みんな〇〇。気持ちがいいくらい〇〇だ。いや、人間自体が、生きること自体が〇〇であるからこそ、人間ではない金閣寺は燃え上がったらあれ程炎が美しかったのかもしれない。つい最近まで日常会話で使ってた〇〇の単語も、国語辞書には載っていても日本語として使えない不自由な世の中。ポリティカル・コレクトが日本を〇〇にしている気がする。4kマスターということだが、最近劇場でみた感覚と、ほぼ同一の色彩感覚(白黒映画だがあえて使う)で、「家庭」でこの名作を楽しめる。葛飾北斎の北斎漫画には、たくさんの〇〇が描かれている。むかしの日本人は、それも生活の社会の一部、構成員として認めていた証拠であり、また自分自身もそうなっても、受け入れられる安心できる世の中だったと考える。しかし、昨今はそれを表面的な言葉や表現だけに過剰に神経質に規制をかけるが、人間のそこはかとない部分には、常に〇〇が息づいており、それが規制で消えることはない。何故なら、人間が生きることそのものが、〇〇を背負う苦がつきまとうものだから。
Trustpilot
2 months ago
1 day ago